アーティスト情報 |
A〜E |
【A】 |
・akiko 名門ジャズ・レーベル、ヴァーヴが初めて契約した日本人シンガーとして、2001年『ガール・トーク』でCDデビュー。ジャズの枠組みに捉われることなく、多彩な音楽のなかで自身の感性を泳がせていくスタイルが話題を呼び、アルバム『リトル・ミス・ジャズ・アンド・ジャイヴ』『a white album』では、小西康陽をプロデューサーに迎え、親しみやすいポップさを内包したジャズを表現した。 |
・Ahmad Jamal 1930年もしくは1932年7月2日、米国ペンシルバニア州ピッツバーグに生まれる。本名はフリッツ・ジョーンズ。ジャズ・ピアニスト。ハイスクール時代にプロとして活動を開始。58年に録音した『バット・ノット・フォー・ミー』が話題となり、カデット、アーゴなどに多くの作品を残す。マイルス・デイヴィスに影響を与え、『アマッド・ブルース』という曲を進呈されるほど尊敬されていた。 |
【B】 |
・Barry Harris 1929年12月15日米国ミシガン州デトロイト生まれ。ジャズ・ピアニスト。同地に着たマイルス・デイビス、リー・コニッツらと共演し、キャノンボール・アダレイの誘いでニューヨークへ進出する。 |
・Beegie Adair 1937年ケンタッキー生まれ。透明感のある音色と流麗なタッチでリラックスしたプレイが心地よく、日本でも人気の高いピアニスト。 |
・Benny Golson 1929年1月米国フィラデルフィア生まれ。9歳でピアノを始め、14歳の時サックスに転向。53年よりタッド・ダメロン・グループやディジー・ガレスピー楽団などでテナー奏者として活躍し、58年にアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの一員となる。この時に作・編曲家としての才能を開花させ |
【C】 |
・Candy Dulfer 1969年9月19日、アムステルダム生まれのキャンディ・ダルファーは、6歳でサックスを吹き始め(!)た。著名なジャズ・サクソフォン・プレイヤーだった父のハンス・ダルファーは娘の才能を早くから見抜いて、ローカル・ブラスバンドで演奏させていた。 |
【D】 |
・Dexter Gordon 1923年2月米国ロサンゼルス生まれ。90年4月15日没。40年からライオネル・ハンプトン楽団で演奏。その後チャーリー・パーカーらと共演しテナー・サックスの名手として名声を獲得、特にワーデル・グレイとのテナー・バトルは人気を博した。歌心豊かな朗々としたプレイが持ち味。50年代は麻薬癖により不振が続いたが、60年代に復活し多くの傑作を生んだ。 |
・Dinah Washington 小さいときから教会で歌い、安定した音程と独特のヴィブラートをかける彼女の歌声は、クリフォード・ブラウンとのセッションでの器楽的なアプローチにおいても、楽器にまったく引けを取らないばかりか」かえって彼女の天才を確認させた。まさに、歌にスキャットに持って生まれた才能に溢れた歌声がダイナ最大の魅力だ。 |
・Django Reinhardt フランスが生んだ最も偉大なジャズミュージシャンと言えば、異口同音にジャンゴ・ラインハルトの名前が挙がるに違いない。ギタリストとしての貢献に止まらず、作曲家として数え切れない名曲、しかも、パリのエスプリ溢れる作品を残している。ジャンゴの紡ぎだすメロディには、幼少のころの思い出や、火事になって不自由になってしまった指に対する悲しみ、そして、その不自由な指で彼だけにしか出来ない奏法を生み出すまでの血の滲むような努力が礎となっている。 |
【E】 |
・Eddie Higgins 1932年2月21日米国マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。50年代初頭からシカゴを拠点に活動。58年に初リーダー作をレプリカ・レーベルに録音。その後60年代にかけてアトランティックやヴィー・ジェイに録音を行なって注目されたが、あくまでも知る人ぞ知るピアニストという感じだった。 |
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